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蔵鷺庵(ぞうろあん)-曹洞宗-上六うえいくネット(大阪市天王寺区)
上本町・上六うえいくネット-食べる-遊ぶ-暮らす-学ぶ-装う-泊まる
ひっそりとたたずむ古刹は
歴史と文化の香りに包まれて
上宮高校のほど近く、路地を少し入ったところに小さなお寺があります。その歴史は古く、聖徳太子の祖父である欽明天皇の御代まで遡ります。四天王寺を鎮守する七宮のうち、鬼門にあたる北東の守りとされたのが上之宮神社で、ここで仏事を行う僧の住む坊が春海庵、すなわち蔵鷺庵の前身です。春海庵は長い間無住寺になっていましたが、1691年、阿波の藩主蜂須賀の家臣稲田稙栄の奥方が開基となり、天桂傳尊禅師が曹洞宗の寺院として再興されました。
風情のある見事な茅葺きの山門は、京都の哲学の道にある法然院を模したものといわれています。境内でひときわ目を引くのが、墓地の奥にそびえる楠の大木で、樹齢は300年以上と伝えられています。開祖・天桂傳尊禅師はことのほか楠を愛し、自分の弟子たちを「霊楠之種苗」と呼んでいました。それに因んで植えられたものが成長し、今に至っているというのです。
蔵鷺庵には、全国にその名を知られる一人の人物が眠っています。名医として漢方医学や西洋医学に優れ、また日本で始めて本格的な白砂糖の製糖事業を始めた永富独嘯庵(どくしょうあん)です。
1732年、現在の山口県下関に生まれた独嘯庵は、幼年期より神童として知られ、後に江戸へ出て儒学の他に医術を学びました。35年の短い生涯の間、江戸と長州を往来する際、何度か大坂に立ち寄りました。
実は、独嘯庵と蔵鷺庵の関係について、詳しいことは分かっていません。しかし、没後かなりの時間が経って墓が建てられたことから、深い縁があったものと考えられます。
墓石は長年の風雪に晒され表面が浸食されたため、平成4年に再建されました。その際、旧墓石は剥落部分が多かったため、旧拓本の写真を原寸大に拡大して、それをもとに忠実に模彫、複製され、旧墓石は現在の墓石の下に安置されました。
現在の天王寺区には江戸後期から昭和にかけて、多くの文人墨客が集まってきました。蔵鷺庵は織田作之助の小説「夫婦善哉」にも登場しており、横山大観の友人でもある北野恒富も寄宿していました。(大正7年〜2年)。※恒富が横山大観に送った関東大震災の見舞状が実在し、二人の交流を示す貴重な資料とされています。
名称
曹洞宗 蔵鷺庵(ぞうろあん)
業種
神社仏閣
所在地
アクセス
大阪上本町、桃谷、より徒歩8分
鶴橋、谷町九丁目、四天王寺前夕陽ヶ丘より徒歩10分
駐車場
3台
電話番号
06-6771-4569