新感覚の語りを創出した義太夫節の元祖
竹本義太夫(たけもとぎだゆう)
浄瑠璃の語りの担当を太夫といいます。義太夫は、江戸中期に義太夫節という浄瑠璃を始めた太夫で、超願寺に墓が残されています。
義太夫節の元祖といわれた竹本は、浄瑠璃語りの真似が得意だったことから才能を見い出され、京都の宇治加賀掾門下となって腕を磨きます。さらに宇治流だけでは飽き足らず、小唄から説教節、物売りの呼び声まで取り入れるほど。独自の義太夫節を考案して巡業修業し、延宝5(1677)年に竹本座を創設しました。当初は客が入らず、経営は火の車でしたが、近松とコンビを組んだことが転機に。三味線・人形の名手も得た竹本座は、『曾根崎心中』が大ヒットし、絶頂期に入りました。