弱者を救い、「医は仁術なり」を体現した名医
北山寿安(きたやまじゅあん)
北山寿安は江戸時代に浪花随一といわれた名医です。
薬草家の父から製薬法を学び、豊前小倉藩医の身分を捨てて道修町で医院を開きました。さまざまな流派の医学を研究して独自の治療法を開発。人格者だったことでも知られ、低下層の患者からは治療費を取るどころか薬袋に金銭を入れて渡したほどでした。
また、製薬・調合法の指導にも熱心だったため、寿安に教えを乞う人々が医院付近に住みついたことが、道修町が薬の町になるきっかけとの説もあります。
墓は「風吹不動」とも呼ばれる石像で、眼病回復の御利益で知られています。