15歳で診療を始め、貧民のために働き、18歳で亡くなった天才医師
田中金峰(たなかきんぽう)
儒学者であり医師でもあった田中華城の子として弘化元(1844)年に生まれた田中金峰。自身も15歳の若さで医学寮を開き、医者として診療にあたったという驚きの才人です。
医学と儒学を教え、恵まれない人たちのために漢方の施薬院も設立して無料で治療を行いました。詩人としても世間の評価は高く、華城とともに『大阪繁昌詩』などを執筆して、幕末維新期の大阪の名所や風俗の様子を表現。しかし、才能を惜しまれつつも、18歳の若さで夭折(ようせつ)しました。
金峰の墓は妙寿寺にあります。
〒542-0065 大阪市中央区中寺1‐1 妙寿寺
田中金峰の墓