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吉祥寺-万松山-上六うえいくネット(大阪市天王寺区)
上本町・上六うえいくネット-食べる-遊ぶ-暮らす-学ぶ-装う-泊まる
今も参詣客が絶えない
赤穂義士の心を伝える寺
地下鉄四天王寺前夕陽丘から北へ歩くこと数分、だんだら模様(ギザギザ模様)の壁が目を引く小さなお寺があります。創建は1630年。山号は万松山と称し、釈迦如来像を本尊とする曹洞宗の寺です。
吉祥寺が全国にその名を知られるのは、ここが大阪における浅野家の菩提寺だからです。あざやかな朱色の山門をくぐると、正面には大石内蔵助の像が鎮座し、そしてもう少し中に入ると、躍動感に満ちた見事な細工の四十七士の姿が。そして境内右手には、戦火を奇跡的に逃れた義士たちの墓がひっそりとたたずんでいます。
1703年(元禄16年)、大石内蔵助をはじめ四十六士たちが幕命により切腹しました。その後、足軽だったために幕府から切腹御免となった寺阪吉右衛門が、四十六士の遺髪や鎖かたびらなどを大坂に持ち込み、江戸では幕府の手前かなわなかった、義士たちの慰霊碑の建立を吉祥寺に依頼し、その冥福を祈りました。以来吉祥寺は「義士の寺」として多くの人たちから尊敬を集め続け、今も義士たちの心を慰めるため、多くの人がお参りに訪れます。
吉祥寺はこれまでに何度か大きな災禍に遭ってきました。1916年(大正5年)には火災により全焼し、1925年(大正14年)に再建。しかし1945年の大阪大空襲により貴重な品々を納めた蔵が全焼するなど壊滅的打撃を受けましたが、先述の通り、義士たちの墓だけは奇跡的に焼け残りました。
空襲によって、浅野家や義士たちゆかりの貴重な品々はすべて灰燼に帰しましたが、義士たちの忠義の心、そして天下に対し正道を糺した姿を忘れまいとする心はずっと受け継がれています。毎年12月14日の討ち入りの日には、吉祥寺の現在の住職・村山雅雄師を中心とする大阪義士会が中心となって、「義士祭(赤穂義士奉讃祭典)」が盛大に開催されています。近年では、多くの方がご参加頂けるように、討ち入りの日に近い日曜日に義士祭を開催しております。
この寺は、日々訪れる参詣客のため、時間内(9:00〜16:30)の出入りは基本的に自由になっています。「お寺とは本来そういうものでしょう。高い拝観料をとったり、みなさん方との間に敷居をつくるようなことはしたくありません」と住職は語ります。その根底には、失われつつある、地域の人たち同士のつながりを大切にしたい、という心です。
境内には立派な枝垂れ桜があり、春には美しい花を咲かせます。その見事な眺めを、私たち一人ひとりが、自由に楽しめるのです。
名称
万松山 吉祥寺
業種
寺院
所在地
〒543-0074
大阪市天王寺区六万体町1番20号
アクセス
地下鉄谷町線四天王寺前夕陽ヶ丘北すぐ
電話番号
06-6771-4451
ファクシミリ
06-6771-4417
営業時間
開門時間:9:00-16:30
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